真説猟奇の檻

色の凡例:
9億5千万以上・『神』  
9億以上・殿堂入り
8億以上・2.30以上
6億以上
6億未満・1.79以下

タイトル真説猟奇の檻
メーカーCALIGULA
レヴュワー編集部・中群
基本6項目
 キャラクター8億
 グラフィック8億5千万
 操作性1億8千万
 音楽・音声7億5千万
 ゲーム性7億5千万
 ストーリー性8億6千万
主観データ
 お気に入りポイント7億9千万
マスクデータ
 綜合評価7億2千8百万
 重率総和317億
達成率90%
パソゲェ指数2.22

雑感:
(プレイ時間:約15時間)
 猟奇の檻とは日本プランテック(PLANTECH)から1995年に発売された作品で、当時の流行であったシリアスなシナリオとフーダニット(註:犯人当て)の楽しみ、魅力的な女性たちとの純愛と凌辱、そして明らかに度を越えた難度……これらが楽しめるゲームとして話題になり、その後第2章、形を変えて3章、4章と発売されてきた作品。今回の特徴は、一度はその手を離れたかに見えた猟奇の檻のオリジナルメンバー(少なくとも、シナリオと原画に関しては。)によるリメイクというところだろう。どの程度のリメイクかは分からないが、そもそも『猟奇の檻』そのものはとても入手困難でプレイしたこともなく、プレイに踏み切ったわけである。

 そこで、今、この批評を誰に向けて発信するのかは非常に大きな問題である。過去に猟奇の檻をプレイした人間というのは、おそらく現役のゲーマーの中にはいくらもいないはずである。しかし、それでもやはりリメイクである以上、前の作品については触れなければならない。しかも、その触れたい箇所は、作品の性質上どうしてもネタバレになってしまう。なので、今回の批評では、ネタバレのない前半部とネタバレありの後半部にわけ、後半部はオールステルスにするという体裁をとることにしたい。

 まずは操作性について触れなければならない。というより、本当にデバッグ作業を行なったのだろうか? この中途半端なシステムまわりに対して、本当に誰も文句を言わなかったのだろうか? あるいは、下手に文句を言えば開発終了直前で殺気立っている開発者から文句は出るし、直ったら直ったで再度デバッグする自身の手間が増えるとかで、あえて文句を言わなかったのではないだろうか? そういった懸念すら抱かせる。
 キーコンフィグでF1〜F9にまで、セーブロード、読み戻しを始め様々な機能が割り振られ、CTRLキーでの飛ばしも充実で悪くないと思ったのだが、たったひとつだけ、フルマップ(全体マップ)表示がキーボードではできない。これだけのことで恐ろしく操作性が下がる。理由は、このゲームをプレイした方ならば火を見るより明らかに分かるであろう。
 本作をはじめとした、何度もプレイしなければならないゲームには、必ず再プレイを1回目、2回目よりもスピーディにプレイできる機能を備えていなければならないというのは、もはやゲーム業界、とりわけAVGが氾濫するエロゲー業界ではほぼ常識といっていい。それを実現するツールとして『既読部スキップ』などが挙げられるわけだが、このゲームにおいてはそれが『全体マップでの移動』にあたる。マップ移動などはキーボードのほうが遥かに操作しやすく、またスキップもCTRLの方がスキップボタンより快適なのに、マウスでないと全体マップを表示できないというのは考えただけでも酷である。また、ZNS(零式ナビゲーションシステム)も、キャラを選んだ後、別のキャラのZNSを見たいと思った場合にキャンセルをかける意味で右クリックを押すと、マップ画面に戻ってしまうなど、直感的に操作できないイライラが募る。
 さらに、環境設定で設定できる文字表示速度の『高速』の遅さはもはや詐欺である。瞬間的に文字を表示させるためには、ダブルクリックまがいのことをしなくてはならない。あるいは、エンターをカチャカチャと2回連続で押すことで、次のテキストを瞬間表示させることができるわけだ。それはそれでいいのだが、今度はマウスの自動移動を抑制するオプションがない。そして、選択肢もなんの脈絡もなく出て来る。上記のようにダブルクリックまがいのことを繰り返していると、ほぼ確実に勝手に選択肢を選んでしまうのであるからタチが悪い。
 以上の二つは特に決定的である。他にも、斜めになっているのにキーボードの上下左右がそれに対応していない(斜めを押さないと、『まっすぐ』に歩けない)とか、逆にマウスオペレーションの場合は画面端へと主人公を移動させることが容易にできないこと、何回も見なければならないにも関わらずエンディングテロップが飛ばせないことなど、細かいものを挙げればキリがない。ZNSのバグや、見てもいないイベントを見たことになっているバグなども非常に目に付いて、まずそこからしてデバッガーが役に立っていない。
 こういう見るに堪えないゲームが出てきてしまうところに、そろそろ組織を纏める人間が気付かなければいけないのではないだろうか? どうせ延期するなら(本作も2度ほど延期している)このあたりをこそキッチリと作りこんで欲しいものである。

 一方で声や音楽、あるいは絵といったものは良かった。ただCGなどは、多少枚数がアンバランスであった感じも受けた。例えば、挿入していない絵のままテキストでは挿入⇒射精までいってしまったかと思えば、とある人が死ぬというイベントだけでまったく構図の違う(差分ではない)CGを3枚も用意しているということもあり、重要なところだけ先に描いたのだろうかという疑念も抱かせる。
 キャラクターは、以前隠しキャラ扱いだったキャラがメインキャラ(とまで言うほどではないが)に昇格したり、新キャラが増えたりするなど、ずいぶんと賑やかになった。もちろんそれらのキャラは物語の本筋に絡んでくることはないわけだが、『本筋に全然関係がないキャラが大量にいる』という懐かしさを感じることができて、懐古趣味的ではあるが、よかったと思う。

 問題はゲーム性だろう。たしかに猟奇シリーズといえばその有り得ないほどの難度が特徴である。とはいえ、無理矢理難しく作ってやろうという制作者の意地の悪さばかりが見えてしまっている。
 例えばZNS、零式ナビゲーションシステムはキャラを攻略するために必要な手順を教えてくれる、いわば自動ヒント装置のようなものであるが、それに沿って攻略してもCGギャラリーやシーン回想はスカスカである。全体マップ上にチビキャラが表示されてはいるが、一部の(しかも、かなり重要なシーン)などにはチビキャラが登場せず、自力で見つける必要がある。全部で20箇所近くある中をしらみつぶしに探すのは非常に体力のいることで、しかも制作者はそれをやらせようとしているのだろう。それはそれで味のあることだが、前述の通り操作性があまりに悪く、そういう面倒なことをチクチクやっていく気が完全に失せてしまうのだ。

(以下ステルス)

 しかも、このゲームからは、今までの猟奇シリーズにあったフーダニットの面白さは完全に失われている。殺人が起こり、誰が犯人かを模索しているうちに、それをあざ笑うかのように次の殺人が起きる……これこそが猟奇シリーズの醍醐味だったはずだ。なのに、誰一人殺されないまま真相解明が行なわれることになる。
 いや、よく考えたら、このゲームが猟奇シリーズの1作目なのだから、このゲームが『シリーズの面白さを損なっている』という批判は的外れであろう。しかしながら、先ほども述べたとおり『猟奇の檻をプレイしたプレイヤーはさほど多くない』のだから、猟奇の檻=推理モノ、という印象をみなが持っていてもおかしくはない。
 しかし、このゲームは実際『サスペンス』であろう。充分二時間ドラマとして堪えうる展開である。誰が犯人かなど考える余地もない。なぜなら殆ど全員が事件に何らかの形で加担しているからだ。それに、トゥルーエンドを含むほぼ全てのエンディングは、基本的にZNSに忠実にイベントをこなしていく必要がある。そういう意味で、どこか第三者的にならざるを得ない部分がある。これはシナリオライターの癖だと思うのだが、地の文が時折主人公から離れていく。主人公を突然真上から見下ろしたり、目の前にいるヒロインの心理描写をしたりする。そのたびに感情移入の糸を断ち切られてしまう。こういった面を考えても、やはりこのゲームは自らが謎解きをしていくというよりも、『主人公という登場人物が謎解きをしていく様を楽しむ』という性格を帯びているのだろう。
 問題は、それを楽しむためには、主人公ではなくプレイヤーが苦労させられるという点であろう。
 例えばバッドエンドになったときに、トゥルーエンドに至る何らかのヒントが提示されるだけでもずいぶん違ったはずだ。しかも、たった1〜2時間の間にしか起こらず、重要かどうかも分かりにくい、ゲーム開始後2日目に起こるようなイベントを逃したばかりに、ことの真相が明らかになろうかというまさにその時に、待ってましたと言わんばかりにゲームオーバーになるのは感情的にも許しがたい。
 ただ、やり直しはたしかに色々な意味でキツイのだが、攻略キャラが膨大にいるため、それなりに毎回楽しめるのは悪くない。メインキャラを攻略していく過程では毎回新しい様々な発見があり、また色々な人物を犯人として指名できるのは面白かった(ただし、真犯人はどう頑張っても指名できないようだ。だからこそ、『フーダニットの楽しみはない』と言うわけだが)。

(以上ステルス)

 シナリオ的にはひとつ、重要な教訓を得た。すなわち、あまりにどんでん返しが過ぎると、見ているほうはついていけないということである。それはもう、シーソーがギッコンバッタンするあまりそのまま大回転し始めるくらいのどんでん返しがある。それはそれで非常に面白く、またそれこそが『真説』たるゆえんなわけだが、読んでいる最中も、それを頭の中で整理するので手一杯だった。ステルス部で述べたような『第三者的』な見せられ方をしてきたからというのが理由かもしれない。具体的な答えを提示することはできないが、どこかせわしなかったのは事実である。トゥルーエンドを見るタイミングによっては、プレイヤーが知らないような事実や推理も主人公は訥々と語りだすわけで、もはやこの時点でついていけないわけである。

 結局のところ、この作品はどう評価すべきだろうか。あるいは、どう評価されるべきなのだろうか。ただひとつだけ言えることは、この作品をプレイするためには根気が要るということだろう。そして、もうこの作品に限って言えば、攻略記事などを見てプレイすべきである。ネタバレを恐れて攻略を見ないという主義の人にあえて言うなら、攻略を見たくらいではネタバレにはならないので大丈夫、ということであろうか。そしてこれは、前作『猟奇の檻』をプレイ済みの方にも言えることである。前作をプレイした人こそ、本当の意味での『真説』たる所以を味わえることだろう。そういう意味でも、この作品は『リメイク』とも『続編』とも言えない、独特の位置を占めているのである。
 こういう作品を一言で断ずるのは難しいので、そういった評価は個々の判断に任せたい。しかし、攻略即ち好感度が上がる選択肢を選ぶだけ、というゲームが大半のこの世の中にあって、相当の歌舞伎者であるということは、ファンのみならず全てのゲーマーの認識としてあるのではないだろうか?
(12/26,2004)

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